教育をシゴトにして生きるとは?  信岡良亮さんに聞いた

授業改善・コラム
スポンサーリンク

本日も東京にて変わった会に参加してまいりました。

今回参加してきたのは、教育をシゴトにして生きるとは?というテーマで、さとのば大学のメインファシリテーターをしている信岡良亮さんにお話を伺う、小規模なサロンのようなものです。

発起人は大野佳祐さん。島根の離島・海士町にある公立高校で「隠岐島前高校魅力化プロジェクト」のコーディネーターをされている方です。

さとのば大学は、「キャンパスをもたない大学」というコンセプトでスタートした、日本各地を巡ってその土地で暮らしてみる中で、生活の中にある学びの場を開拓していくという試みです。

現在は3ヶ月、6ヶ月という2つの課程を用意して提携地域へ留学。インプットである授業はオンライン教材で行い、午後はプロジェクト学習として地域の特色を生かした課題解決・協働的な学びを得られるプログラムになっています。

私自身高校教諭として大学入試のための指導にあたってきました。しかし、面談や生徒との交流の中で、なんとなくで高校に通い、なんとなく大学に進学する。そのために嫌だけど勉強する。将来やりたいことや大学で学びたいことは特にない。そういった構図になっている生徒が多いことを肌で感じていました。

勉強は、学問はもっと楽しいものではなかったか?

将来はもっと自由に選択できるものでなかったか?

地域性という言葉で片付けておいていいのか?

高校教諭として悩み、働く中で、もっと教育に自由な取り組み、自由なアプローチ、自由な形があっていいと考えるようになりました。そして今、休職という形でゆっくり教育について考える時間を得て、その思いは強くなっています。

そんな折、このイベントの広報を発見してすごく心惹かれました。

生活の中に学びの場がある。多くの人と関わることで自分を相対的・客観的に見て、資質を自覚することができる。その資質を生かして、自分のやりたいこを探して、そこへ向かっていく。

自分の憧れている教育の形の一つをみたような気持ちになりました。

そんな思いで今回は参加させていただきました。

さて、前置きが長くなりましたが、以下お読みいただけると嬉しいです笑

集まった13人

東京恵比寿にあるEIJI PRESS Baseという小さなコミュニティスペース。

大きな卓を、参加者で囲むというスタイルで行われました。

私にはそもそも東京に出て「勉強会」なるものに参加する経験がほとんどないものですから、勝手がわかりません。講演会のようなものを想定していたものですから少々面食らってしまいました。

集まってきた方々は信岡さん、大野さんと既にお知り合いの方が多いようで、和やかな空気の中、午前10時に会がスタートしました。

今回集まったのは13人。大野さんのリードで自己紹介と今回の会にどんなことを期待して来たのかを共有します。

少人数でしたので、それぞれの方のパーソナリティを共有できました。それはもういろいろな方が集まっていました。

私と同業の学校の先生、大学生、大野さんがコーディネーターをしている隠岐島前高校の保護者の方、薬剤師、地方の行政に携わっている方もいました。

隠岐島前高校では「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」の一環で「島留学」という取り組みを行っています。そこで、留学生を地域住民が支援をする「島親」制度を設け、学校と地域が連携して課題解決型・探究型の学びを展開する取り組みをしています。

今回の会にも島根繋がりで、島根の地域学習講座しまコトアカデミーの受講生の方がいて、島根は先進的な地域学習をしている場だとはじめて知りました。

そして自己紹介と共に、それぞれの口から語られたのは、「教育のあり方への疑問」でした。

私が悩んでいるように、それぞれの立場の方が、それぞれ同じテーマで悩んでいたようです。この会は、そうした同じ悩みをもつ人々をつなぎ合わせる場として機能していました。

さとのば大学への想い

全員のお話を受け、信岡さんがご自身のことを語られます。

信岡さんは、関西で生まれ東京に就職。仕事をする中で壁にぶつかって退社した後は、島根県隠岐諸島海士町へ移住をします。そこで仲間と共に起業、島生活を経たのち現在は活動拠点を東京へ移して、株式会社アスノオトの代表を務めています。

「持続可能の社会」という言葉がずいぶん耳慣れたものになり、2015年の国連サミットではSDGs(持続可能な開発のための2030アジェンダ)が採択され、世界規模で持続可能性を目指す動きが出てきています。

信岡さんは、持続可能な社会への想いを持った方と、土日に学習会などをして会う機会があったそうです。しかし想いとは裏腹に、平日は社会人・企業人として大量生産社会へ貢献しているジレンマを思ったそうです。

人口減少や社会の急速な変化。働き方や雇用のありかたも大きく変わって来ています。これまでの当たり前が当たり前でなくなる時代がくる。それでいて持続可能であることが求められる。

これまでの仕組みや方法を変えていく必要がある。そのためには、変えていける力と、一致団結していく仲間が必要だ。そういった「学びの場」をつくる。共に学ぶ仲間が要る。

さとのば大学はそのような想いから、生まれてきたものだそうです。

人間関係が希薄と言われて久しく、地域の過疎化、都市の高齢化、地域間格差、限界集落、そのような多くの問題を孕んでいる日本の都市部と地方部。その両者をつなぐ、大きな橋渡しになるだろうと私は感じました。

高校現場で働いていると、「普通に高校を出て、普通に大学を出て、普通に就職して」という”モデルケース”が出てくる場面がままあります。それは生徒の口から、保護者の口から、あるいは教師の口から、様々に語られます。

しかしそれは本当にそうなのだろうか? それでいいのだろうか?

これまでの社会はそれでよかったのかもしれない。

企業戦士、という言葉があるように、企業に就職して立派に勤め上げることが大切で、幸せであった時代もありました。しかしこれからの社会でも同様だなんて保証はどこにもありません。

難関大学に進学しても就職が保証される時代でもなくなりました。終身雇用制度が崩れ始め、非正規労働者が増加、起業をする若者も多くなって来ました。リモートワーク、クラウドソーシング、フリーランス。新しい働き方も注目されて来ています。大企業に入れば安心、というのはもやは都市伝説です。

そんな社会を生きていく彼らに、勉強頑張って良い大学行って良い会社に就職しな、とは言えないのではないか。

そんな悩みをかねてから持っていた私にとって、なんと共感のできる場なんだろう、と感じました。

考えを供給する 〜今の教育の課題〜

今回の会は講演会やセミナーではありません。どちらかというと座談会に近い形式のもので、テーマの中でみなさん自由に発言をされて、信岡さん大野さんのお話を聞いていくようなスタイルで進行していきました。

最初のテーマは、今の教育の課題

学校現場のお話を私からさせていただきました。記事の前書きで書いたようなことです。

今の教育現場は生徒も教員も疲弊しています。自由な発想とゴールに向かっていける場ではなくなってきています。

さとのば大学や隠岐島前高校などで、今の学校教育とは違った学びをすると、学校教育のなんて受けてもしょうがない、という発想に至る子もいるそうです。それはもはや当然の流れに感じます。

以前参加させていただいた、高野さんとルークス高・ゼロ高の生徒さんとの会でもそれは感じていました。

しかし「学びの土台」は必要であり、高度な内容の授業を格安で享受できる価値もあり、捨てるのはもったいないと大野さんは言います。なるほど、と思わされました。

日本現在の教育はそこに特化していて、大学への入り口に「勉強」が必要であり、高校ではそこに入るためのノウハウを伝授する場になりつつあります。この凝り固まった問題に、現在大学入試改革でメスを入れようとしていますが、難航しているのはみなさんも知っての通りです。

GeneralistはAIに駆逐される、と信岡さんは言います。

やり方を教わり覚え、それを繰り返すスキルを身につけても、その程度のことはいずれAIにできてしまうことです。そのための画一的なGeneralist教育を施すくらいなら、丁稚奉公をして叩き上げた方がSpecialなスキルが早く身につく。

日本の教育ではまだまだGeneralist養成の色が強く出ています。ルールを守り、規律を守り、与えられたコトをしっかりとこなし、欠点を埋めてバランスよく力を育む。

しかしこれからの多様化する社会で、中途半端なGeneralistがどれだけの仕事をこなせるのかは疑問です。もちろん高い水準でのGeneralistは多彩なスキルをもって柔軟に順応ができる可能性があります。しかし、多様な働き方や社会への貢献の仕方から、資質に合わせて選び、生きていかなければならない時代が来ようとしている。そのために、日本の「そろえる」教育のあり方の限界が来ているように思えました。

子ども達が減り、社会情勢が不安定な中で最近は実学教育の人気が高まっていると言います。普通科高校が定員割れをする中、園芸科や水産科、農林高校が人気になっているそうです。

身につけるスキルの選択も変化しているということです。多様な要求に応えられるよう、多様な教育選択肢を提供することが、我々大人の仕事として必要なのではないかと感じています。

学びのReality

さとのば大学を牽引する信岡さんの口から何度も出たのは「Reality」という言葉でした。

実感を持った学びをしているか、ということです。

さとのば大学や隠岐島前教育魅力化プロジェクトでは、現地に住み、現地の人と生活することで、様々なものを生で見て・聞いて・触る体験をします。

そうした体験から育まれるのは、Realityをもった学びです。

信岡さんは”半径50m革命の共創者”という言葉を掲げ、自分の得たRealityを仲間と共有することの重要性を説いています。

受験問題のように正解があるものではなく、正解のないこの世の中と等身大で向き合うことで、自分にできることとできないことを知り、周囲の人々に尊敬の念を抱くことができます。

このRealityをもった学びを深めることで、多様化して変動する社会で生きていく力とすることが大切だと私もこの会を通して学びました。奇しくも、学習指導要領で求められている「生きる力」と行き着くところは同じになったわけですね。

自分の人生を自分ごとにして生きていない。みんながそうしているからそうしている。

そういった参加者さんがいました。まさにその通りで、いま子ども達が慢性的に抱えている閉塞感、無気力感はここに根っこがあると思っています。

そしてそうさせてしまっているのは、我々大人であり、変えていく責務があります。

子ども達は、学びの場があればどんどん学びます。その学びの場が閉塞的であれば、閉塞感を学んでしまいます。

多様性を生むためには、多様な教育機会が必要です。それをオルタナティブ教育と言います。

お二人は、このオルタナティブ教育の勢力を増やしたいとおっしゃいました。

教育の場を自らで選ぶことで、意欲や責任感も向上します。現在の形の教育にも、自発的に選ぶことによって意欲が向上し、ポジティブに働く。その考え方に、大変共感しました。

私は、既存の学校現場も少しずつ変わっていくといいと思っています。

学校現場は疲弊しきっています。新たなプラスを行うのではなく、既存のものを一旦荷下ろしをして、そこに学校独自、地域独自、教員独自のものを盛り込んでいく

もちろんこの考え方には「継続性が保てない」という批判がつきもので、「前の先生はできた」、「あの学校はやってくれた」という不満が噴出することも容易に想像ができます。

それは「そこに通わなくてはならない」という半ば強制になっている公教育自体にも課題があります。「そこに通わなくてはならない」から、そこで展開されるサービスに不満が生じるわけです。納得できる選択肢が提示され、自ら選んだのであればその不満は低減されます。公教育にも多様性があっていいと思うのです。

そこに通わなくてはならない」という強制力がブラック校則を生み、不登校を起こし、閉塞感を増してい原因の一つであると私は考えています。

自分の学びたいことのために学校を選ぶ。そんな時代が来てもいいと思います。ICTがそれを可能にしてくれるのではないかと期待もしています。

教育の形はもっと柔軟であって欲しい、それが私の想いです。

出会いと、今後の展望

今回の会は、私にとって大きな収穫がありました。

それは、悩みや想いを同じくしている方々とのつながりができたこと。そしてその考え方は孤立しないということです。

何度も言いますが、学校現場は疲弊しています。

そんな環境の中で、私はここまで自由に、そして気楽に教育を語る機会はありませんでした。教育の理想を語る暇があれば授業準備にあてたい、そんな世界なのです。

さらに自分の抱いているこの考え方が、現場の多くの教師と共有できるべくもないものであることも感じていました。

その理由は、「いい話だけど、できっこない」という話に終わってしまうからです。

私が考えていることは、理想論も理想論で、現場の人間とは思えないほど楽観的なものだと自覚をしています。だから、積極的にこの教育の形を実現しようとか、誰かと共有しようとはしませんでした。

それよりもむしろ、今の枠組みの中でできるベストパフォーマンスを出すことに注力をしていました。

しかし、今日の会を通して、はじめてリアルな人と対面で自分の教育への思いを共有できました。

何も結果は生んでいませんし、何かが変わったわけでもありません。

それでも、自分の考えていたことが肯定されたような気がして嬉しなりました

まだしばらく、私の休職期間は続きます。

もっとたくさんの方とお話をして、勉強をさせていただいて、自分の考えを整理したり新たな学びを得ていきたいと思っています。

復職するのかしないのかも、まだ悩んでいます。

しかしこの経験はきっと自分にとってプラスになっています。このブログもそうです。

そう信じて、今後も活動して参りたいと思います。

文字数を見たら、6000字を超えていました笑

こんなにも長い記事をお読みいただいて、本当にありがとうございました。

はなまる

コメント

タイトルとURLをコピーしました